デニム・ブルー・サファイアママン3の15

 遊びに興じる時間などない・・・という厳しい躾が容子を雁字搦めにしていたことは言えるでしょう。他の子供たちとは毎日の時間配分が違っていたのです。しかしそういう時間の切り詰め方が後に大きな過ちの発火点になったことが今にして不憫です。あの子はみんなの輪の中へ入っていき同じ子供たちの仲間になりたかった。しかし私はそういう時間を忌み嫌ったのです。ますます容子は父親のそばから離れません。母は少し異常なのでは?を感じ取った形跡。しかし褒めると伸びるとはよく言ったもので、容子は私に褒められることで一服しているような表情を見せることが多くなっていたのです。機械的に知識を増やして親の期待通りの成果を見せることで要領を会得していくのも時間の問題だったのです。人が休んでいるときにも文字を書いたり、本を読んだり・・・この積み重ねがのちに容子の心を窮屈な羽交い締めから抜け出すことが出来ないくらいの圧迫を与えていくとすれば、肝に銘じるべき論点でしょう。ゆるくなってはいけないと私は妄想を抱いていたけど、実際は容子は私の心の根っこまで見抜いていたのです。父親がどんなに逆立ちしても母の教育方針に替わるようなものを提示は出来ないこと。なぜなら夫は自由奔放を崩すことはなかったからです。そんなに多くのことを同時に出来るなんてありえない・・・容子も私もそこを理解していたのです。