デニム・ブルー・サファイアママン4の5

 いかにも未熟な母の私。そしてアパートの全員の目に寄行と写ったことでしょう。しかし抑制が効かない。いくら自分の中で積もり積もった憤りがあったとしても他の人にあたるとは・・・今思えばあの時、自分を止められたら、容子の事件は起こらなかったかも?とは思えるのです。しかしあの事件がもしも起こらなかったなら、厳しいカリキュラムが続行だったわけで、どちらに転んでも容子の人生は結果、変わってはおらず同じだったようにも取れる。生まれたときから運命が決まっていたのでは?と解釈も出来ます。事件が起こったことで容子は史上最年少で傷害事件を起こしてしまった人物になってしまうものの、その後の人生を逆に、恐れながら歩むのです。だとすれば?この事件は起こるべくして起こった?甚だ、わがままな見解になっていることをお許しください。あのまま、厳しいカリキュラムで育成されたのなら容子に一寸も時間は余ってはいなかった。それなのに事態は急変するのです。夫のことも容子は理解しながら持て余してはいなかった。むしろ研究材料にしていた。父親がなぜそこまで辛抱しているかを・・・この父親は並々ならないものを維持している。日本の男性のみなのか?ここが容子に驚異を与えていたのです。我慢は人間を成長させていくのでは?しかしまだ、彼女はわずか三歳だったのです。