デニム・ブルー・サファイアママン2の15

 民家で容子を預かってもらい、その頃の往復はまだ、首が座ってないことで前に抱いてコートの中で結わえる方式。この子は他の子供に比較して熱を出すことが多いということが段々理解ってきて心配になるのです。その頃まだ、お尻に入れる座薬などないので風邪自体を治そうとします。液体のシロップなど。しかし余りに高い熱のときは休みを取ることにして、ごんどう小児科に連れていく。先生はよくしてくれました。何しろ初めての子供。こちらも神経質になって顔も血相変えているんですが先生は常にフレンドリーを前面に出して、温和に説明するのです。預けていることでミルクになってきっと体の中で変革が起きているんだろう。その言葉には深い意味があったのです。容子が後年覚えていたのです。お母さんのお乳は美味しかったのにある日突然、美味しくなくてかなり辛かったって。乳首が固く感じたって。そういう話ってなかなか普通は起こらない。つまり味覚が発達していたということでしょう。味にうるさい大人になるのだろうな?っていうのは早くに理解ったし、大食漢になることは実際想像は出来てはいません。容子は小さいときから非常に感性が発達していてこちらが心で問いかけると、返してきていた。唇見て相手の言うことをほぼ理解していたのです。