デニム・ブルー・サファイアママン3の11

 お金を稼いでも貯蓄しないなら意味はないと私は強く思っていたのも、戦後の苦難が引き金になっています。貨幣価値が変わってその時どれだけの国民が涙を流したでしょう。母は家を処分してお金を作ってくれたけど、そういう財産がなかった人々の苦悩は、戦争の遺した次なる試練でした。私は自分だけたいしたことはない・・・って澄ましていたのではなく、別の闘争モードに入っていたことは言えて、お金を大事に使う人でなければ人生をまっとうに過ごしていけることは絶対不可能であると確信していた。夫は溺愛され育って今まで来ていた人?それとも厳しい義母の爪の垢を時に服用して今日あるの?ってこの両方を天秤に掛けて推察に及ぶものの気分が相当分、作用していることに、ある日、私は気が付く。相手が感じ良かったから、購入した?そういうのは私の生き方ではなかったのです。ひとつのものを購入するにも全く人の裁断を仰がない私・・・確かに堅過ぎて皆が嫌がる。気分を害する方も出て来るでしょう。しかしこの生き方を崩せなかったのです。海軍大佐の率いる家から、平民の最下層まで落ちようとしていた時、何がもっとも私に影響を与えたのか?っていうと自分の信念の在りかです。母はもともと質素だったし、戦争が終わってさらに厳しい姿勢で生きていた。資源になったのは生活者としての心構えだったのです。