アクアマリン・マン146

 僕は妻の仕事を尊重していた。そう理解してもらって間違いない。彼女は物書きとして、今、充分光り輝く。新聞投稿に費やした時間は全部埋没して見えなくなっていたのに、はてなとお知り合いになっただけで、これだけの好材料の時間を紡ぐ・・・心からおめでとう!!って言ってやりたい。僕は自分で言うのもおこがましいが、バンカーとして心血を注いだ。しかし結果はゼロに戻ってしまう。すべての信用を麻雀によって失った。しかし今思うと、なぜか許せてしまう。妻が死者として扱われたことに比較すれば微々たること、些細な処分だ。妻はなぜ、こんなに強豪になってきたのだろう。もちろん、彼女自身が精進したこともあったとは思うが僕には全く別のことが頭に浮かぶ。忸怩たる思いは当然あったと思うが、究極のプラス思考をみずから率先していたからではないのか?例えば最悪な娘でも、どこぞに善良がある?って期待して待つ。この歳月は本当に長かっただろう。箸にも棒にもかからない最悪な娘なのに待つ精神・・・途方もない道のりだったと思う。しかし娘にもきっと、いいとこがあると子育てを放棄しない。それが親というものだろうか。僕も妻によってその明るさによって死ぬより辛い処分の中を生き抜いたと今思う。究極のプラス思考はみんなも会得したい業(わざ)だと思う。