何も進展してないように見えるけど、素晴らしい符合を目の前にして感謝にむせぶ。脇田大佐のお母様です。鹿児島中俣の名家の出とは聞いていましたが脇田大佐の誕生日を見て逆算したのです。誕生日が十月一日。っということは九か月はお母さんのお腹にいるので1898年の十月一日の前・・・遡って1897年の十二月末日にこの世に出塁していた可能性がある。ここは堅いでしょう。すると節分が124年ぶりの謎も解ける。符合しているのです。脇田大佐生誕123年の今年だからです。このような出来事は滅多に起らないゆえに、精査を重ねるよう啓示も入っています。大佐のお母様から大佐の妻、キミへ、そして私の母へ・・・・六代まで来ていることに驚愕します。お母様、どんな女性だったのでしょう。戦後の荒波をいかに生きて来たかを知りたい気持ちです。私はこれからをブログとともに、さらに世界志向で生きていくことを決めました。こういう朝になっていることは大佐もお母様も喜んでくれているかな?って思う。いや、かいかぶりかもしれない。私だけがはっちゃけている?でもそれでいいのです。究極のプラス思考の本髄は恐らくこういう明るい考え方です。男子が出来なかったことを女子がこつこつとやり遂げる時代の幕開け・・・夢ではないのです。