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 テレビが壊れてしまうということは、家族にとって惨劇に違いない。あいつが暫くの間、孫にすまほを賞与する案は、僕も賛成だ。もっともな策だと思う。それはいけないと思う親も世間にはいるかもしれない。しかし僕は黄泉の国へ行って考え方は柔和になっている。なぜだろう。ここでは自由があってないのだ。楽しくゆっくり過ごせるのは嬉しいのだが全く最近、刺激がない。以前ここへ来たすぐの頃、絶えずオオカミが近くにいることが怖かったのだが、通過出来ないバリアがあることに気が付く。オオカミは見えはするが、僕とのバリアが存在で、それが判明した後は怖いことはなかった。それが無くなって・・・僕には一日、240時間が持たされるくらい、退屈さを禁じえない。何しろやることがない。事実上「無」なのだ。よく、天国って空の上にあって、そこから家族みんなを見守ってくれているのよ?って生前は聞かされた。しかし、ここも自己責任の世界だ。何かを助けてあげられるか?っていうと全くもって僕らは無力だ。ただ、観ることだけは可能。それがあれば僕が安心なことは言える。仕事をすれば幾分落ち付くのだろうが、まだ、あいつはアルバイトもやりたくはなさそうだ。それを僕は看過する。行きたくなれば行けばいい。強制はしない。