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 僕達の憧れは消防官であり、警察官だった。最初にプレゼントされたおもちゃは線路付き汽車で次は母から買ってもらったパトカー。正しく子供達の憧れの職業と言える。警察官の威信が大揺れに揺れる。フランスでもかなりの議論で僕なりに思っていることを話そう。まず、すまほで撮影が無かったら?を思う。これは恐らく、側に居た住民が撮影したものと思われる。行き交う人の誰かがすまほで動画を撮影した。八分以上に及ぶ逮捕劇だが、あの映像はその中の何分だろうか?最初からっていうのは難しい。気が付くまで一分の猶予あるだろう。すると仮に一分が経過して撮影開始でも撮影していた人はことの重大さに段々気が付く場面であると僕は仮想する。僕だって、撮影している場合ではないぞ!?ってなってくる。人の命が架かっている。しかしだ・・・その逆もある。途中で撮影止めていたら全く人々にこの膝で押さえつけていた力の怖さは全部が伝わらなかった可能性。左膝だった。そして重大な論点をみんなが忘れ去っている。この左膝で押さえ付けていた警官の心理だ。撮影されていることを全く知らない。それを知っていたら途中で力を抜いていたことだろう。それと・・・まだある。ジョージ・フロイドさんのこの悲劇を、撮影した人のピューリッツア受賞者も及ばない動画としての価値だ。ここまで書くと、みんなが辟易とする。矛盾が世の中にはあり過ぎるって嘆くだろう。しかしそれでいいと僕は思う。ひとつの断面ばかり見ていると人は発狂に段々隣接してくる。