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 僕が亡骸になってもひとつだけイイコトはある。それが小鳥たちの囀り。僕は弁当で飯が余ったら必ずガーデンに出して乾かしていた。それを雀が喜ぶ。今だって僕がいなくとも彼等彼女らはやってくる。ちゅんちゅん、ピヨプヨという可愛い囀り。きっと素晴らしい自然公園が上にあるから・・・って何も知らない人々なら思うだろう。もちろんそれも言える。自然公園は名称を天満宮公園というらしい。前段の餌付けとして覚えておいて欲しい。僕がこうして話すのも海軍記念日が近いからだ。容子の伯母はその日に生まれ後生、自分のバースデイを自慢していた。しかしながらよく考えれば伯母は女子だった。やっぱり男と女が入れ替わっていれば二人とも成功しただろういう僕の推測こそは正論だろう。容子の父親が学者肌でうじうじした面があった。しかし一歳学年が上の姉は違っていた。竹を割ったように物事の白黒をパキンと示してくれて僕の溜飲がおりるという場面が多々あった。しかしこの伯母でさえも肝心な時、弟を立てた。そこが僕としては残念だった。女性が力を有しながら適当な時期を見て後ろに下がる癖・・・本人はそれを流儀とか、たしなみとか申しておったが、僕としては腑に落ちない。そこは容子に肩入れする。男の前でくじけていてはダメなのだ。☆礼☆というものはもっと別の場所で生息する。日本の為になる!!将来の布石になる!!って信じたら容子は後ろを見ない。一人も味方がいなくとも平気でいる為だろう。