ブラックオニキス・マン152

 僕も人生設計を果敢になって今作っているところだ。みんなも同じと思う。しかしどんなに計画を立てていてもそれがその通りになっていくことは逆に珍しい。不意の出費があるからだ。僕はそのディティールを今回ほどに味わったことはかつてなく、幾ら計画通りに人生を生きると宣言したところで、難しいこともあるんだな・・・って戒めた。じゃあ人生のメソッドは出来ないじゃない?計画が立たない人生なんて・・・って諦めるのは早計で、その為に、ニートの知恵もこれから直筆で必要になってくるのかも?って僕は自分がニートだったあの頃を思い出していたのだ。本当に姉と母と一緒に出掛けることも多くて僕がまだ、自分の車を購入前で一緒に出掛けたあの頃、僕は今はもう失ったものを温存していたことを懐かしがる。今思い出した。免許も獲っていなかった頃だ。時津に今はもうなくなったけど、オサダという商業施設があってそこに玄関入るとお好み焼き屋があった。うどんも置いてあり、セットでうどんプラス丼ものが選べたのだ。回転焼きもあって、中に目玉焼きが入っていると思えば、ハムが入るものもあり、安かった。母はお好み焼きを頼まず、あの頃がもっとも激貧だったと想像付く。今よりも貧乏?父が生きていても最低限度の生活を母には送って欲しいっていうことで僕らは、与えられたお小遣いで父の家計のもと、姉、母、僕、父親と一緒に同じ屋根の下に暮らしていた。厳しい父だった。一日に1000円を僕たち子供にに与えていたのだ。今思えば幸せだった。むろん母にはその1000円はない。今僕には不意の出費はあってもそこまで、悲観する金額ではない。5月だから自動車税はみんなにある。父は僕たちがその与えられたお金をどう使うかを?見ていた。書けとの強要はなかったが、父の願いは今分かる。家計簿だ。その姿勢を僕に、姉に、見たかったのだろう。母は家計簿をついに書かなかった。書いても長く続いた試しはなかった。なぜ書かないの?って訊くと返って来た。腐ってもあたしは文豪よ、そういうのを書く気持ちには到底なれない。今、母はどう捉えているだろうか・・・。