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 芸のこやしになるとはいっても家族を犠牲にしてまで作家は翻弄する。される。この真骨頂が火宅の人でした。主演を務めた俳優さんも素晴らしく男はここまで自分本位に走るんだな?そしてそれが許されるのが作家の立場か?ってずっと疑問符もあったんですが、とかく男が優遇された社会であっても、私が全く違う環境で育成されたことが手始めだったのかな?って母はあえて、男を手下にしていた。自分の部下みたいに父を扱うのです。でもそれは仕方なかったのかな?って自分が母になって思う。男は自分から女の手下になろうと試みることが実際あるということです。父には負い目があったのです。結婚が二回目。そしてそのことをネタに随分と父を困らせてこれでもか?これでもか?って母は口汚く父をののしっていた。この複雑さを見て行くと家族が抱える病巣も現代社会にここまで受け継がれてきたものと符合し、しかも苛めの原因にもなっている・・・母があえて、自分が主導権を獲ったのは何も、父をとことん追い詰めるのだけが目的ではないこと・・・それは自分が餌食になって家族の迷宮を見せてくれた。私にヒントを与えたという役目です。この子は何でも自分の思うがまま生きてく、それがなければ作家としての大成はない。音楽だって作曲の分野にいく。だとすれば?人にはない個性として重宝されるいわれもない。これは結果だから。作家はすなわち自分を囮にしてでも書くことが優先である。今更とは言わず又読んでみたい火宅の人です。