Ss243

 人生の終焉が来るという時に、ちゃんと拾ってくれる場所があることが何よりだ。この終焉というのは終わりとか最期という意味ではない。万策尽き果てた・・・という類いの場面だろう。どういう訳か僕にはそういう老境の葛藤がない。所持金は少なくても心に栄養が一杯詰まっているから?じぶんで最近そこを顕著に思うのも、姉の成功欲が並大抵もなく、それに比較してやっぱり凡庸でも僕のような人間が評価は高いのでは?と心密かに期待する。僕は道端にいる虫にも愛情を注ぐ。樹木にも愛情を注ぐ。姉はサクセスの字をじっと見たことがあるのだろうか?ここにも符合がある、そんなことにもまだ、気が付いてないのなら、泥棒をオカッピキと呼ぶ位、相当に遅れている。時代の趨勢が左右するとか、どうなるのかは時代の趨勢が決めると姉はよく趨勢を使うが、この安易トリックはどうだろう。人には軽薄さが見え見えだ。僕は思想家だからなおさら、無がもっとも美しいと思う。姉の発言を聞いていて飛行機用耳栓も必要かもな?って時々思う。思い込みがにぎにぎしくも激しいのだ。僕の心を写したいのなら、もっと僕の奥底を知るべきだ。サクセスには同じ英字が二字ずつ混じっている。これを一個つ”つ消去することに成功でもしない限り、姉のサクセスは月に行くより遠い。しかし本の中なら楽譜の中でなら出来るかもしれない。