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 僕の心に飛来してくるのは、四季の移り変わりを知らせる鈴虫の音・・・。もうそろそろ秋ですよ?こういう時、サクセス志向の姉にはこの鈴虫の鳴き声がどう聞こえるのだろう?って僕は推測してみる。子供の頃の姉を知っているからだ。優しくて突飛で常に冒険志向だった。僕は姉に毎日でもついて行きたかった。毎日誰と遊ぶかを約束して学校から帰宅。戦々恐々としながら僕は姉を追跡する。しかし姉も安全面には気を遣っていて、途中で僕を巻くのだ。いなくなった・・・って感じたらいつも僕は置いて行かれていた。姉の速さ、それは一瞬だからとても捕まえることは出来ない。施策も同じ。思索も同位だ。今の今、こう思ったかと推測していれば次の地点まで飛んで行っている、とても間隔を狭めることにはあいならない。こういう貪欲で鋭敏な姉とはうって替わってぼんやりして足のすね毛を抜いている姉も又いて、このコントラストがえもいわれぬ興味になる。毛抜きと姉は切っても切れない関係でその仕草を観れるのは毎日ではなく、一週間に一回くらいだった。毛深いことで随分昔、女を捨てたのだろうか。今になって思うのはちょうど姉の短歌が長崎新聞に掲載されて五十年が経過している。そんなに長い間・・・。ひとことでは言い表せない感動を姉は身体に維持して今ある。奇しくも半世紀である。