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 落ちこぼれの問題は何もこの国に限ったことではなくどの国にもそういう落第制度はある。大学だって単位が足りなければ留年になることを思えばすこぶる自然と言う側面も事実です。しかし私に啓示が入ったのは随分前。ここで蹲った人々の多さです。教育一家で育った私と弟が、揃ってこの憂き目を経験したことはやはり意味があったとそう言わしめる啓示です。そこで振り分けられて私達おちこぼれが味わった惨めな気持ちは今のいじめどころではない。心底馬鹿にされて白い目で見られ私はさっさと故郷を捨てた位です。みんなが同じ気持ちでいたと推測する。人の心が読める私ならでは?そうではないのです。もしも人徳に秀でる人ならその傷付いた鳩状態の生徒をどう慰めるでしょうか?私はその地点に啓示によって導かれるのです。20年後、そして40年後、日本がどうなっているか?そこまで研究を継続していけば価値あるものへ動いていく。この動いて行くの意味は日本経済に直結しているということです。私達おちこぼれはほぼ全員これは不当なのでは??!!とそう心に強く思っていたけど、それを言う場所も機会も与えられてはいなかった。いいえ、言いに行った親たちも多い。生徒みずからが言った例も多々あったでしょう。まだ弱冠16歳でも物申す権利があることは自明なのです。聞く耳を持たなかった教師側のシステムは強靭強硬でどす黒いワナだったことは疑う余地もない。二十年後私は36歳でした。そして四十年後私は56歳でした。その両方の年代になっても不当という認識は消えません。ここまで尾を引く自体、やはりねじ曲がった教育行政だったと言うしかないですね。なぜならいずれ義務教育になっていくからです。