絶対に百歳まであなたは生きることが出来て、しかも自力で生きることが出来ますよ?って確認でも取れれば人生の計画そのものも立て易い。しかしドラマチックなことに計画は立てられない。明日はどうなるか俺にも分からない。ただ、これまでの経過を踏まえ、予備知識としては、こうなるのでは?予感として未来をこの位置から想像するしかない。誰だってそうなのか?と訊かれれば、イエスとしか言えないだろう。意味不明不透明な中に於いてもっとも分けやすいプランをやはり僕らはやはり文筆家として提示しないといけない。これは差別ではなく区別だと自分で理解している。以前驚いたことがあった。貧乏な中流と金持ちの中流の比較があってこう区分してあったのだ。発泡酒を飲み、軽自動車に乗り、家族で行くのはイオンって。これが貧乏中流って。それはないぞ??って俺は反発する。週刊誌記者の分け方だったがイオンは庶民的であることは認めても貧乏と見なされることには抵抗があった。しかし今・・・分け方を僕はよりシビアにしてみた。あの時から三年が経過したのもある。バイクや自転車組と、車組だ。この分け方だと高級車3ナンバーも軽自動車もいっしょくたで嫌だな、という方々も生まれるだろう。俺はそれでも構わないとペンをのけぞらせる。どんな高級車でも車の役目を思えば軽と同じ。両者も両車も移動する為に使われる。僕は僕なりの方法でこれから喝破する。そうでなければ高級派閥の轍にされてしまいそうで怖い。先に言っておけば損はないし危険もない。