yd907

 家庭を持つということは社会参加がより一層深まるということ、独身で会社勤めとは全く責任感が異なる。そこを疎んじていれば生活そのものが頓挫する。社会参加は義務教育も関連する。子供を作らないと決めた夫婦なら別の選択もあるが、義務教育の縛りは依然として堅い。僕はこの義務教育でさえ、実は本当に必要なのか?疑問符も数パーセント抱いている。確かに自分は義務教育でかなり恩恵を受けしかも、その時代に沢山の友人を得た記憶が鮮明だ。しかしこの国はメディアにかなりの偏向傾向があって、本当に国全体を網羅しているとは言えず困る。困窮しているといっても過言ではない。このような状態で、カースト制が隠密に敷かれる学校という芝生は果たして健全なのか?それを今の処は回答出来ない状態で、いじめでこれだけの子供達が命を落としているのに何ら改善策はなく、むしろ何も効を奏してない現段階。義務教育が果たしてきた恩恵とその裏に控える真相としてコペルニクスの原理が僕を捉え始めている。天才と呼ばれる人々が言葉を失っている日本だからこそ、この原理は日々正統性を増している。つまりすべての人々は平凡という冠を付けそこに滞在する。メディアはその中でも変凡という部類にカテゴリ化される。