Ss138

 僕の思っていることが社会と糸電話で繋がっていることがまだ信じられず、小学生時のあの実験の新鮮な感動が呼び起こされる。僕はなぜ、音が伝わるかよくわかっていなかった。それなのに手ごたえを感じた。今の状況に酷似でそれは信憑性ある実験の成果だと思う。例えば僕は今超高齢化社会の濁流の中で見事に押し流されいる人々は、目まぐるしいその渦の中で自分の体力をまず心配していると思う。そこが実に肝心で、思い当たるのは運動会。赤と白に分かれてくす玉を割ろうとするもののそのくす玉まで自分の球が行かない。変な方向に行ってしまう。ここが第一段階だ。僕は普段から体を鍛えソフトボール投げも人並みだと思っていたが思い通りの狙い目に玉は飛ばない中年になったことを知る。ショックを受ける。昔の中年より、今の中年は若い!!とそう思ってはいけない。中々そうは問屋も卸さない。僕らは体力の衰えを痛感しそこで目一杯うなだれる。懸垂や腕立て伏せを毎日欠かさない僕でも、体力の減退や限界は日々襲ってくる。しかし人生百年の時代はドックインしている。僕の生涯年俸は幾らもない。市民税も支払った経験がないほど貧困カーストを生きて今日ある。しかし僕の気持ちは代弁される。この語彙コンビナートが喜ばしい。ある一定以上の年収を得る若者たちの市民税の年間納税金額を見て僕はたまがる。こんなに若い時から社会に貢献している姿に尊敬以外、浮かばない。くす玉を割る為に必要なこと?適度にくす玉に射程を合わせながら力を込め投げることだ。球力は重なっていずれ割れるように出来ている。