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 里子はアマゾンの著者経歴のコーナーでエッセーを発表して丸六年、足掛け七年を経過して今ようやく世相を詠むという狂歌で自分自身の思いのたけを発表出来る段階まで来ている。こんな喜びはないでしょう。ここまで来るには紆余曲折はあって、狂歌というスタートラインにまず立てたことが法外に思えるのです。自分自身の子育てを語ろうとか思いません。何を語ってもあぶはち獲らずに陥りがちの文芸で唯一、骨太の視野と解釈を牽引出来るものが狂歌の路線だと判明したのもごく最近でそれは、英語になった日本語を調べているうちに進展を得たのです。例えば里子のペンネーム西嶌姫瑠は英語表記やオンではヒメル・ニシジマですが、ひとつひとつ語句を掘り下げれば次のようになるのです。ウェストアイランドプリンセスストーン。何処からかパラダイスが浮上してきて外国の島に行ったシャロン・ストーンの気分になってくるからマカ不思議です。このような変化を狂歌がもしも外国語の路線に乗ったら辿るのでは?をまず考えたとも言えます。今日は元官僚が自分の子供を手に掛けたことを詠みたいし、そこではキーワードも存在で、里子は英語になった日本語をまずこう認定します。首の皮一枚。これは唯一のライフラインとか心の癒しを指す。スペルはあまぞえコーナーで読んで貰っていいと思います。