いよいよ西暦2018年の年度末を迎えて僕の心は引き締まる。今日という日は分岐点になる。いつも口を酸っぱくして来たのも、何をか言わん、僕自身がなあなあだったことも起因する。この手応えるこそが実感にもなる。昨日だった。長い間勘違いしていた二文字にハッとする。途撤もないという時の二文字だが、轍という文字を徹と間違った。途は間違ってないけどこのてつが誤字になる。しかし僕は完全な間違いなのか?と一瞬当て字の線を鑑みる。日本には当て字も結構正解として存在し、厳密に言えば完全に間違っていない時も実際にあるからだ。そして極め付けは健康保険の険だが、僕は何と、怖れながら倹だとここまで思って来ていてそこを厳しく仲間に言われて慌てた。日本人でありながら漢字すらまともに記せない。こういうことだから、心も中途半端で流浪してしまうのだろう。これからの僕は間違いをなるだけしない人間でありたいと漢字能力の向上を第一に置いた。今までは誤字位、後から訂正すればいいじゃない?って割とのんびり構えていた。その姿勢こそがぬるま湯だったと思う。しかし年度末に来て僕は自分がなぜ、二日からのアルバイト勤務にしたかは、みんなに種明かししておこうかなってそこをガイダンスする。日本では四月一日生まれまで前年度の生徒に組み込まれる。この一日に僕は拘った。誰がそうすべきではなく僕自身が日本の教育現場に合わせた格好だ。