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 腰を痛めてリタイアしたものの僕は以前から、いや今もカフェに憧れを抱いている。僕は音楽も好きなことでBGMにも強い関心がある。どういう音楽に出会えるのか?でリラックスの度合も決め手になる。好きな音楽であればなおさら僕の寛ぎは浸透していく・・・いや待てよ~~、好きな音楽の場合興奮も禁じえない。僕が好きな音楽が皆と共有出来ている興奮?いやきっとそれは違う。僕だけの世界に人が踏み込んで来た強引なその明るさだと思う。カーテンをシャーっと開けられて僕が一瞬驚くのは言わずもがな。そこで怒りも少しだけど湧いて来る。でも音楽に垣根はないのだ。僕が好きなら誰かも同時に陶酔していく。そういう決めごとってか宿命を持っている。この宿命に僕は忠実でありたい。一方では僕が心酔してしまう音楽でも聞きながらペッっと唾を吐く人だってあるだろう。きっとそれでもいい。芸術の柔軟性の部位で誰が見ても逸品などありえないとした方がリーズナブルだろう。ひとつの価値観に埋もれてしまうことが最も危険だ。みんなの多様性を認め合う瞬間にもクラッカーは個々弾ける。誰に対してでも垣根を僕は作らない。僕としてはカフェの売りは食器を自分で下げるあのコーナーだと思う。そこが売りだと僕が思うのもどんな分野にも生かせるだろうからだ。