スノーサファイア・マンss12 僕は実際、弟に会ったことはないが、想像すれば大体だが全体像を描くことが出来る。なぜなら世の中で落ちこぼれとか、ニートとか、引きこもりとか聞くと皆が第一声に、”変わった人”を連想するが、僕は人とは同じではない。僕はまずどんな不公平に遭ってきたんだろうに思いを馳せる。例えば同じ泥棒に入っても、捕まった者、運良く逃げ果せた者、両者は極端に違う人生だと思う。前者はかなり厳しい世論に揉まれプリズン生活も余儀なくして苦難の道が想像出来る。しかし逃げた方が本当に最後までばれずに、しかも後の人生で悔い改め、相当にいいポジションに付いたなら?同じ泥棒仲間ではあっても、後の世の人生で開きが出る。もはや訂正しようのない両者の開きで、しかし僕はそこも見逃さない。本当にその人の真価を計ろうとすれば学歴やディスカッション以外にも批点はおのずと挙がってくる。ここは言わば人それぞれ授かった裁量の格差も絡んでくるし、運の競売にも及んで来ていちがいには言えないが、恐らく人生は平等を基準に運を展開していると僕は疑わない。だから落ちこぼれであろうとなかろうと、気持ちを引き締めて人生に立ち向かっていけば、先行き、打開出来ない訳がない。能力の限界なんて実は存在しないって僕は相互関係の作り方の上手下手をまず問題にする。自分の仲間や支援者を攫む術が人生には必要で、そういう力が差異を餌とするのだ。