ルビー・ウーマンr281 父が地元の支所の話し方教室を受け持って誘いがあります。娘を抱っこして一回来てみないか?って。面倒臭いがあって一回も行かず仕舞い。今になって父はどんなお話し絵本会をしていたのかな?って興味しんしんとなるのです。作家の仕事は実は小さい子供が横でガタガタしておれば出来ない仕事。なんでそういう文士型の話をするのかな?っていうと基本と言うものがあるから。小説も短歌も俳句も全部万能だった人は珍しく、しかし文豪、芥川龍之介ともなればそれなりの俳句を詠んでいてなるほどなあって感服します。この句がそうです。木がらしや 東京の日の ありどころ 私達は日本に住みながら西嶌姫瑠の本さえ目にしたことがありません。しかし有名な人だけが闊歩していくような日々の移ろいを嘆くことは毛頭必要ない。もっとモジティヴになってみるのも意味がある。誰だって、貴男のことや貴女のことを無視しているのではなくて知らないだけだった!!これがリアール現実。だとすればこれを機会に前へ行く方がいいですよね?私も矢上神社にお参りしてその時に横にある実家がまだあったことで溜飲を下ろします。もう解体に入ったとばかり思っていたからです。今は古民家もただ同然か、もしくはそれ以下で処理に困るといった番組を視聴しました。誰も買わないから負債だけが残って市政やその経済を圧迫していく。両親やタヤ達は楠の木のふもとにある家にまだいるのでは?と思えて来るのです。