サファイア・マンs203 実際にその時には記憶の中だけに収まっているものを短歌にしたためる手法。これを使って秋の阿知須を詠みたい衝動も嬉しい発奮でしかしその力がまだ自分にはないことがはっきりする。言葉で織り成されたセンテンスが確かに57577で納まりを見るような構図でああ、いいぞ!!と自分の中で快諾が得られても全体像としてその一首が体を成してはおらず、他の人々の詠んだものをずんずん自分に浸透させていくやり方で、他者温存を計っていく。そして溜息も漏れてくる。この人はどこで本系を取得したのだろう?と。本系があって初めて類型が生まれる。選者によってすかさず選出された作品はどれも群を抜き、おかしな短歌はひとつとて見当たらない。自分はこういう秀逸を目指す路線ではないな!!と直感が動いたのも順当で、それははからずも、示唆が働いたとするのが正解でそう言う時にも符合論は頑なにも作用をしてくる。私に影響を及ぼすのは多くの人が師とあがめる巨匠なのだろうか?自分はそうではない気がする....が顕著に起こって、周到に自分の精神的構造を読み込む動作にまず出る。季節感のあるアジスは確かに素晴らしくて黄金色の絨毯のように見えたがそれはまず幻影?って。大切なものは自分の色調!!しかしながらその収穫前の色合い、パッチワークの色目はくっきり頭に残って消えそうもなく脳内討議は終わらないのです。