ルビー・ウーマンr255 私はお産の前に高校生放浪記を仕上げてしまいます。自分が落ちこぼれに認定され、苦悩の日々を送った十代を赤裸々に文章にして、250枚の原稿用紙にしたためて出版社に送る。そうすることで溜飲も下りるに違いない!!との予測のもとにいたのです。この原稿は初の草稿ではなく、私はすでに日大高校三年の夏休み自由課題という項目があって執筆を経験していました。その時は百枚でしたが自分でもよく頑張ったなあって思ってはいたんですが、高校生放浪記は思ったよりも筆がすいすい進んで誰に見せることもなく自分の中で応答を出して公募に出稿してみる。しかしその原稿は不発に終わって原稿を返してもらいたい!!と販社に請求して返してもらう位、若い時分は拘りがあったのです。手直しをしたかったのです。結婚生活を輝かせる為には自分の資力を出さない限り決して報われることはないという予言が、己の中で強固にあった。結婚のことをしたためる前にこの執筆に挑んだことは正解で、その後にすぐ、詩作に鞍替えし執筆に入るのです。短歌よりも二十四歳の頃、詩作に興味があったのです。コスモスという同人誌に加わり出産に挑む女性の発奮を描こうと自分の心の中を覗いてみたりと、言動は当初から活発でした。女性たちが、出産について、それぞれ思いのたけを語ることが、とても重要なニュアンスとなっていることにペン先が動いたのです。