イエローダイヤ・マン《標榜編》〔554〕とうとう今日押さえれば上原の記録に並ぶという時に、平野投手が打たれてしまった。僕の憔悴は物凄くて、しばらく起き上がれないくらいに落ち込んでいた。しかし次の記事に勇気を貰ったのだ。僕とほぼ年齢の違わない平野投手が、ジョー・ディマジオを知らなかったという行で、アッパレというか、知らないことを堂々と言ってのけた所も日本男子だなあって。しかも記念のボールも欲しがらない。これは京都の男子の一面を標榜するものだけに僕は取り上げたい。佐々木蔵之介が独身をこれからも涼しい顔で通していくように、京都の男子は一本筋が通っていると見た方が解り易い。何を優先にすべきかが、己の中で整然と整っていてそこが他の県の男子の本懐とは若干違ってくる。金輪際おへん!!っていう程のチャンスを逸しても、どうっちゃないのさ!!のお釈迦様の表情。そこが何だか僕の心を爽やか数珠繋ぎにしてしまう。彼が継続したかったのは自分の記録ではなかったのだ。他の選手たちに見られるような、記念ボールに印を絶対に入れなきゃあ!!っていう感覚は終ぞなかった。っということはこうは言えまいか?彼は記念ボールには拘りを見せない替わりに何か突拍子もないものが好きなのだ。それをもしもスクープ出来たメディアなら、大称賛に値するだろう。