イエローダイヤ・マン《標榜編》〔482〕俺達日本人のみならず、韓国と北朝鮮の対話の中には若干の懐疑も漂うものの、それは全世界の人々も同時に思っていることだろうし、きな臭いという特有の日本語もあって、俺達はここで言語の兜の緒を締め直さないことには大変な誤解を生む。世界の中で物を言ってもいい時、それとは別に静観していなければいけない時も現実には控えていて、国同士の取り決めや、プライバシーを勘ぐって暴挙の論議に出ることは日本の立ち位置を危うくする。言論にはシビアな部位とクールな部位があって、ここではシビアに走ってはならない場面であると俺はクールな気持ちで通そうと思っている。北が核兵器を捨てるはずはない!!などが暴挙の論議で、確かにきな臭くても、黙っていることが大切なのだ。じゃあ、どこで自分達の言論を展開すれば?となるだろう。俺はそれを日本が展開するのも、中々難しい位置に今いるとしか言えない。日米安保に比べると米韓や日韓の基礎は危うい。どこで、韓国が北になびいていくかは想像もつかないし、核兵器に実は憧れを抱く日本男子も実際には存在する。俺達の国が核兵器も作れないと嘆くような輩も存在するのだ。そういう高慢な人物達の吹聴言論に乗ることだけは絶対に避けないとクールジャパンはもたないとそう思う。