ルビー・ウーマン《ジーニアース編》〔225〕五十年前も今もそう変わりません。やはりあの頃も近眼の自分が常に気を配っていた事は、人よりも見えていないから怪我をしないように!!っていう心掛けでしたが、近眼であるだけに得をしたなあっていう部門もあって、友達は見えるから、誰誰ちゃんがこっちに向かっている!!退散しようよ!!ってなっても自分は見えてないから大船に乗った気分。誰誰ちゃんが来ても来なくともそれを自分の感覚で認めない限り、ようちゃんの中ですったもんだは起こらない。つまり友達の目にようちゃんがおおらかに映っていたのは事実で、誰も仲間外れにはしなかった。誰の目から見ても優等生のようちゃんは、将来は子供を一人くらい設けて、その子供を最強のガリ勉にして行く!!と友達の皆が決め付けていたのは言えるし、しかし、それに抵抗するまでもなく、皆の予想をしっかり裏切る人生を歩んでいくのですから人生わかりません。この落ちこぼれをようちゃんは反対から読んでレボコチョとしていましたが、さらにそれを反対から読んでいくとヨチコボレ。つまりこうなりませんか?才能の余地があったのに落とされたという布石です。この発見は嬉しいし大きいですね。