生涯を駆逐艦と共に過ごした脇田大佐は決してエリート海軍士官ではなくて、本当にどこにでもいる今で言うマイホームパパだった。そのことを母はいつも話してくれた。戦争の詳しい場面を知っているのは唯一、兄で、娘たちには一切戦争の仔細を語ることをしなかった。美風だったというより、ウーマンキラーだったのかも?って。今振り返るのはこの駆逐艦が戦後、復員兵たちを運んだ功労なのだ。それがもしも許されなかったのなら我が国の復興すらなかったろう。全世界に感謝したい!!父を運んだのは駆逐艦、槙だった。皆が帰れるという時マラリアに罹患し相当焦ったという。もしも帰れなかったらこれ以上の不運男はないぞ?と。しかしいつか、そのマラリアにも打ち克っていた。ほなあ大佐、喜一郎定食お願いします。目指すのは 鹿児島港とは 奇遇かな☆台湾から鹿児島までの海路だった☆