イエローダイヤ・マン《標榜編》〔321〕俺がなぜ、弁当屋をこうして毎日視察するかというと爆発力を調査しているのだ。たとえばこの弁当屋に百個の弁当注文が人を介して入ったとする。さすがに百はネタがない、或いは材料となるストックがない・・・として断わるのか?それともスグサマ仕事に掛かれるのか?いうなればそれくらいストックの質と量が問われることを弁当屋は身を持って体現している業種なのだ。俺だって、そういう場面は自分でこしらえたことさえある。友達にどうしても食べさせたくて、トルコライスを四人前頼んだことがあってその時は笑顔で作ってくれた。しかしもしもこれが閉店三十分前なら可能だったろうか?と。ご飯は炊くのに時間が掛かる。そこを鑑みるといかにご飯が第一にくるのか?俺にとっての命題にも相当でこのご飯にあたる言葉だけには抱負でありたいと常常望むのだ。弁当屋はそれぞれその店舗に見合った売り上げ目標があるだろう。しかしそれを打ち破るのは、顧客の側なのだ。そこを俺は言いたかった。何の蓄えもないようなホームレス風の人間がある時大量の注文を入れてこない!!とは誰にも言い切れないのだ。