イエローダイヤ・マン《標榜編》〔290〕俺は腹が立ってきた。老女が投稿していてこうあるのだ。桐蔭の一塁手がこれからずっとそのことを悔やむとある・・・。こ、こんなことを新聞に掲載してもいいのだろうか・・・。猛省はあるかもしれない。しかしここまで人の心に分け入る失礼を俺はいかがなものか?と逆噴射したくもなる。新聞は方向性を見失い今ある自分達のことが全く見えてない。だからこそ、こういう投稿文を平気で掲載し、高校球児のこころの葛藤にまで踏み込み、したり顔でいるのなら当面、新聞の威厳や活気は奪われるだろう。なぜならこれを掲載されて読んだ親御さんがどう思えばいい?そこまでの配慮が微塵にも感じられず俺は失望と怒りを覚えた。誰だってミスをするし、それを一生、悔やむことは無い。これだけは言っておこう。今の高校生はそこまで悔いないのだ。いつも未来志向で、切磋琢磨していて、新聞にアレコレ言われる筋合いも持ってない。自分達の品性はもっとも劣っていて、投稿文の吟味すら出来ないというのなら、この言論社会では益々落ち零れていくだろうし、それを避けたいなら正常な品格を取り戻すしかあるまい。