トッポキャロ構想~こうしてキャロルの言論は守られてみんなに到達・・・。ここまでの道のりには途方もない時間が掛かっている。しかしその回り道も長い長い時間もこうして報われた。みんなの目に触れたからだ。作家冥利だし国を野球チームに捉えると、決して為政者だけがプレイしてないという実直が浮き彫りになる。観衆が民衆?違うね?そこはわかっているね?民衆はもはや単なる観衆ではない。キャロルがこうしてモノ申すという形を整えたからだ。守るときもあるし、攻撃のときもある。そういう守りと攻撃どちらも経験するのが政治家たる為政者だ。民衆も言論を放つ、モノを言う。余りに理不尽なときにはオーバーリアクションもある。当たり前だ。国を傾かせることは許されないことだ。投手はどういう役割を持つか?昨日のシンダーガードのように自分が打席に立って、ヒットを打つことさえ出来る。阿倍総理は投手なのだ。ナショナルの規定ではそうだが、打つ機会はアメリカンチームではない。ここを吟味することだ。法外なアイデアが浮かんでくる。