恐らく海軍大佐の家庭、母がいじめられるなど無かったろうし、終戦後にそれは襲ってきた。いじめられた記憶など母は話さなかった。あったにしても堪えて隠してきたのだろう。いじめられて当然との認識のもとにあったからだ。母が十五歳で終戦・・・。この十五歳というと性格すべてが完成してからだから、なお厄介だったのだろう。母はいじめられて当然という認識あって耐えられた。しかし・・・現代のいじめは違う。優位な者が、弱体である誰かを標的にしている、こういった構図を撤廃し、是正していくには前にも言ったことあるけど厳重な処罰しかない。もちろんいじめた彼らも猛省してもう一回、社会に出てくるだろうけど、その時には、きちんと見守ってあげたい。学校こそ無防備社会だとキャロルは思う。きちんとした家庭の子女はまともだという認識こそ教師は取っ払って欲しい。家庭の優劣を決定するものはその物差しは年収ではないのだ。