デニム・ブルー・サファイアママン7の13

 私が男の子を産んで勝ち誇ったような気モチでいたか?っていうとそういう神話がなかったことは話しておきましょう。実は容子の才を超える子供は授からないという認識でいたのです。五歳以前までにここまで教育を完了出来た例は世界でも皆無・・・ここでの自信がそこを助長し、なおかつあとは、心の面での成長が肝心だったこと・・・後年、容子は大きくなった三十代の子供の一人から、こう言われる・・・お母さんって頭の中はいつまでたっても、五歳児なのよねえ?って。この一行に鍵があると私は捉える。五歳児のままの頭を保持しながら人生を生きるなど、普通は普遍的にも起らない。なぜなら人に合わせていくのが人生。そのたび、修正が入るからです。いい意味で五歳児の頭を維持してきて今日あるのなら、逆に稀有なことではないか?って。親もそれを思うなら容子自身にも勝算があることを、薄々感じないではいられないのです。人は人生の渦中に於いて否が応でも自分を猛省し切り取っていかないといけないのに、容子の場合、保存がなされた・・・それは新天地を選択しそこで第二の感性の成就へ彼女が踏み出したからでしょう。失敗を人はとかく言うけど、実際、失敗は、かけがいのないもの。そして子供のままの心を温存していく極めた稀なコースを容子が選べたこと。みんなにも異論はあって当然です。人にはそれぞれみずからの道が存在する。