家族というときと家庭というとき、おのおの違うニュアンス含むと俺は思うし、家庭のことを語るときに俺は一瞬怯む。本当に家庭人としては何を達成したかが、まだよく説明出来ないし、家族が時折解説するのは俺のワガママさだったり年金生活の元本を捻り出した功績での一定の価値。口を酸っぱくして論じる者もいる。俺に対する家族からの評価は、はっきりいえば未知数である。この未知数は頼りになる金銭のこと以外の漠然としたものを含め適当に指すがそこがメッポー明るい。最低限の生活が保障されているということだろうか。若者にとって実際そういうことはどうでもいい話で、そういう若者こそ、評価に値する。俺は人生の伴侶としてキャロルを選んだが、この先はいばらの道が待っていると自分に節操を付ける。茨は異腹で、大層楽しいようで実際は難関至極なのだ。俺はこのコーナーをしたためて次のブログ茶を入れるキャロルを待とうと思う。どんなにひっくり返っても、そっくりかえってもアイツの代理や代行は難しい。本人の登場をこころ待ちにしながらこのコーナーを閉めよう。天才と凡人の間に控える軋轢といえる。何しろあいつはビージーなのだ。