ルビー・ウーマン《ジーニアース編》〔81〕男の子と最初に出会ったのも、おつかいの場面。自分と同じくらいの子供たちとの触れ合いの一瞬でもあったのです。あの事件があって、両親が必死で守ったことが、今のキャロルの執筆生活に繋がったことをようやく理解出来るし、この国を描くデッサンになるものが、家庭を描くことに他ならないということです。キャロルは正直に階段から突き落としたことを話すことで両親の苦境を築いてしまうし、親子相見違いの部位にもハッとさせられます。質実剛健なる穏健な家庭作りにつまずいたのです。両親はキャロルを非難の嵐から守ろうと必死で自分達のみの謝罪で済ませた・・そう記憶します。しかも自分達の喧嘩癖や口論がこの事件を引き起こしたことなど、ちょっとは考えましたがそこがネックなどとまだ気が付いてはいなかった。謝ることが第一義にあったはずが、キャロルはそこを逃れてきた。両親は過保護域にあった可能性が高い。相当の危機意識があったとしてもキャロルは特別の子供・・・そういった、かいかぶりや、盲信、そして溺愛。特に父は、沢山の写真を撮影して、写真帳を作成保管していましたが、そのほとんどがもうありません。写真の横には母のコメントが書かれています。父がキャロルを抱いた一枚の写真を紹介しましょう。コメントは確かこうでした、中々熱が下がらない容子を案じ不安そうなオヤジの顔。いやあ、びっくり仰天ですね。56年も前に自分の旦那様をオヤジだなんて・・・。