ルビー・ウーマン《ロイヤル・ボックス編》〔64〕自分の父も同じ社会科教師でありながら、担任は余程、機敏で繊細な才能の持ち主なのだ・・・と今になって気持ちを引き締めます。例えば父なら、従来の方法しか用いない。映画も素晴らしいが、ニッポンにはニッポンの佳さがとそう言って締めくくる。しかしこの教師は映画の時にも、おのおのが、何を感じ、何を掴むのか?と。嫌がらせに思えた写真掲載のときにもヒトコトあるんですよ~自分が映っている写真は是非とも注文するんだぞ~そんなもの誰も買わない、自分以外は・・・ドスンと音がするほどの衝撃ですがねん、今ならファックユーと言いたくなるし、なんでこんなに回転いいのかですよね?お前の写真はお前しか買わない、だから注文忘れるな!と言われたようで、そこでも反抗して、絶対買うもんか!!となったキャロル。この教師とはヒトコトしか交わさず進級するのですがこういう出世街道邁進型の教師には、機転が確かにあると総合します。例えば父は中学校図書館で、生徒達を上手にこき使って本の貸し出しや返却整理。しかしこの教師はどうでしょう。他ならぬキャロルと対峙することに成功。物を言えば反発するからと、腫れ物にでも触るように対処している。後者は学級を持ち、実際触れ合うが、父は図書館で油を売っているといっても過言ではない。そして、父のキワメツケは、結婚を控える人はこの本とか、受験生はこの本とか、自分なりに選出出来るという得意技を持っていたということ。中学を無難に生きたいなら、父の推薦は教科書ガイド。こうやって、今は気が付きますが、当時のキャロルには、担任の優秀具合や思いのたけがまだわかりません。