デニム・ブルーママン17の5

 

自分の中で狡さも同時に見え隠れしていたことを容子は機敏に感じ取っていました。この気持ちこそが、文学の世界で証明したい核心でありながら、自分に降りかかっている難儀ゆえ、掻い摘んで私達に話すまでになっていなかったのです。起承転結でいうのなら、決が結より先に来ているという現実。そうです。まさしく、現実の大波にさらわれていく事態が前途に待ち受けているとき、自分を客観的に描写が出来るでしょうか?執筆出来るわけがない。なぜなら、そこには狡さが沈殿しているからです。心のどこかで甘い算段も残っていたのです。成績が向上せず、赤点を食らい続けても、心のどこかで、恩赦に期待する容子がいたこと・・・教師の辛辣極まる舌禍は止まらず、いっこうに勉学が向上しない者は排除して叩き出すしかない!!って教師は言うものの、最期は違うのでは?それが容子にはあったことを私は推量していたのです。事実、大人だってそこを期待する。何のために親はお金を出して制服を揃えたのでしょう。鞄も、靴も、そしてあらゆる愛の投資が水の泡になってしまう。しかし・・・世の中はそういう甘い潮流ではなかったこと、伝統校には厳しい掟があることを、そこかしこで痛感をしながらでも、恩赦があるのでは?に期待したのも容子が、性善説型の人間であったことも関与だと思うのです。

 絶対に人は善を取る!!情けを取る!!しかし心の奥底ではそこまで信じてはいけない…という危機感もあって、容子の首は段々と真綿でしっかり締められていくのです。

ルビー・ウーマン1120

 

時津イオンのワッツの前に長椅子があって自撮りしてみたら、完全に心霊写真。怖くなって神に問いかけました。私には先がないのですか?って。試しにもう一枚撮影したけど、これもぼけて映る。幽霊みたいで怖いです。しかしこの二枚にも意味がちゃんとあるんだ・・って消さずに保管している。私の顔は心配で戦いています。顔は蒼白で表情はほぼない。いつかみんなに見せる日もあるかもしれません。マスクをしてることで救われる。ゴリラの顔を隠せるからです。明日はマイナンバーカード、受け取りでまた家族をニコニコセンターまで引率です。コロナで怖い家族の代理で受け取る。パーキングの車の中で本人は待機させていますから大丈夫だと思います。ようやく初の顔写真つき証明書発行でマイナンバーに感謝するあたしたち。生き方をチェンジ出来る、そういう日になれば幸いですね。ポイント奪取はd払いに決めたようです。ナナコはチャージがあるようで遠慮したみたい☆今訊いたらまだ迷い中、ペイペイにしたかったけど一回退会してペイペイは駄目だったらしい☆これまでの人生、自分が正しかった・・・って居直るようなら、この子が歩む道のりは、どぶの上に懸る小さな板の上を行くように危なくなる。しかしこれまでの人生を猛省し、おおらかな倹約の心で生きていくのなら、この先は安泰でしょう。お金のみで人生を計らず、人の心の美しさに触れることが出来る琴線を強固にすれば・・・バイトも四時までに一時間短縮してもらいました。時間通り、もらいに行きたいと思います。(心霊写真はカバ―が原因やった)

オパール・ママン1056

  

There was a lot of being popular to Carol who entered the beauty school from April.  

She was thinking about it and was not without it.   

However,   after all the license of the car was special.  ☆車の免許取得とほぼ同時に美容学校に入学して専門の道へ歩みだしたキャロル。興味はそこまでなかったけれど、伯母に薦められて美容学校に入学していたのです☆

イエローダイヤ・マン1533

 アイ アム ゴーイング トゥ ライト アクロス ザ ワールドを僕の合言葉にした。例文で泳いで川を渡るとあったのだがそれを執筆することで世界中を渡っていくに作り変えたのだ。今の世界は混沌として何が核心なのか見え辛い。しかし核心の欠片をそれぞれが持ち寄れば、なんら難しいことはない・・っていう気がしている。僕は泳げない。実は金槌なのだ。カナズチってしかしなぜ、日本では泳げない人のことをそう言うのだろう。難しく考えてしまうが、実はいわれがあるはずだ。カナズチっていうのが泳げない人を指すことをもしも何も知らない外国の人たちなら、一体どう解釈するだろう。不思議過ぎる日本語でもある。僕らは日本という国に棲みながらあえて知らずにいることも格段に多いことを知り面白さと警告を同時にもらっている。僕らがまな板に挙げないといけないことは全く、取り沙汰されず、僕らが知りたくはない情報ばかり、氾濫するような世の中になっているのなら、君のチカラも同時に必要とされていることに僕らは突如気がついて、拍手喝采する。ニュースは庶民の側から発することだって今後は可能な世の中になっていくだろう。この界隈を制覇するのは、メディア人だけではなく一般人も凄腕の成果を見せるチャンスが来ている。英語が堪能になるためにはまず例文をいっぱい覚えないといけない。賛成するはアグリーだ。アイ アグリー ウィズ ヒロシというときはひろしに同感ってことで、まさかのアングリーとごっちゃにしないように。英語でも勘違いがもっとも恐ろしいからだ。そして・・・2日が経過して僕にさらなる妙案が。モンロー・ウォークに匹敵するマンゴー・ウォークだ。優秀な日本男子が近い将来、立ち上がる啓示があった。

ピーパー・ウーマン1290

 

岡山市のReSPOT瀬戸PA下り店のファミリーマートにあたし・・・2013年の7月20日、午前9時32分に立ち寄ってたの・・・凄いですねえ。そんな古いレシート保管してるなんて。何を購入しているんですか?それを見てもどんな状況だったか?全く思い出せない。豊橋を引き払い、家族全員でムーヴで帰るあのとき。購入したのは4点、消毒ウェットタオル10、デカシート、キューピーゴールドA、たっぷりプリン🎵合計674円。レシートを見ても思い出せない。そのときの状況は忘れていても、このレシートは確実にマレさんがそこに立ち寄ったという証拠にはなりますね。だから捨てられないのかも。今朝は何を詠みますか?あなたは?僕はイートイン復活路線を睨みたい!!いいわねえ。どんどん行きましょう!!私はいろんな貧困があるけど、新語でガタピシ困を出したい。貧困は様々あるけど、これは家具の建付けがき軋むような経済の苦境・・・でわお願いします。じゅうじゅうも ちゃりんも消えて ガタピシ困☆じゅうじゅう焼き肉の音も消えて、小銭のちゃりんも、もはや聞こえない、ガタピシ婚も発端になった☆じゃあ僕も行きますね。みずからの 苦境をねじ伏せ 究竟の 経済に替える 人間の業(わざ)かな☆これは世界でもっとも難しい技、神ではない、人間の技☆

アクアマリン・マン64

 

いつものお気に入りの店でひとつ定食を頼み三人でシェアして食べてさあ帰るというとき、レジで店主に叱られる。奇しくも僕が生前中、最後に家族と行った店だった。うちでは、うちでは、・・・・・言いにくそうに容子に何か言おうとしている。しかしその先が容子には想像出来ない。本当に言いにくいことなんですが・・・・ってその内容がとうとう店主から明かされた。うちではひとつの定食を三人で食べることはやってません。ひとりワンオーダーという決まりです。ああ・・・そうなんですね?申し訳ないです。容子は謝罪して心の中でむかついてはいても、顔に出さずに店を出る。家族はすでに店を出てふたりで歩いている。おもちゃのあおきに向かっていた。容子はこのことを家族には絶対に話せない。いや、あえて、話すまいって心に誓った。毎月数回利用のお得意様でもこの扱いなのは相当に店側が苦しいから?容子の優しさが身に沁みた。悪いが僕だったら言い返す。ひと家族で三人、しかもひとりは七歳の子供だ。残念至極である。味は良くてもお客様の心の底まで入っていき、感謝を表明出来る店は激減した。コロナで心がガサついて、肝心なものを見失っている。店内の客はがらがらでこんなことを平気で言える体質がまずおかしい。僕はしかし容子の気持ちを察した。言いにくいことなんですが・・・ってしばらく店主が、時間を置いたことだ。前々から言いたかったけど、言えなかった…しかし今回は言いましょうっていう態度豹変だろう。家族が結構ばりばりものを言うがその娘がいないときを見計らい・・・僕はこういう態度が許せない。しっかりと面と向かって全員の前で言ったら良かった。それなら逆に気持ちが良かった。

エメラルド・ウーマン64

 撮・り・ま・く・るという言葉五文字が写真に憑かれた容子の日常茶飯事になっていますがそこまで、写真を撮るのは狙いがあるからなのか?私はそういうことより、もっと、自然の風景を写真に撮ることのほうが大事で優先なのでは?と思ってしまいます。商品には全部息吹はあるし、そこまで、私が、がみがみ言うことでもないですが、しっかり勉学にいそしむ姿を私は見たい。秋を捉えて欲しいがある。自然詠の本質とは自分の思いが四季の折々の中で昇華する様を体現するものです。しかし容子の撮影を見ていると、なるほど、家族も注意を促すのはよくわかります。なんでもかんでも撮りまくる。捲るが必ず付くのです。落ち着かないったらありゃしないわ・・・誰もあんたの写真なんか見てないしって家族に注意されても、絶対に言い付けを守らない。まるで、五歳児の衝動です。いい写真というのは一瞬を捉えたときに生まれると思う方です。稲の花が開いているその数分をシャッターチャンスを逃さずに写す。写すと映すの違いがそのときに生まれてくる。絶好の機会を逃さないということは写真にとっても余命になります。いっぱい撮影しておけば、漏らした・・が起こらないっていう安全志向が容子の中にあるのかもしれない。私は無駄を一切、好みません。たった一枚の奇跡の映像にみんなの心が行くからです。何枚もあれば、逆に心が分散し散らばってしまう。皆からも注意を促したくなる場面になっていますね。