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 僕が言えないことを俺が代行することがあるのだろうか?そこまでしゃしゃり出ては体面も保てないのでは?ガサツな俺でさえ少し遠慮はある。俺はそもそもどこから発祥したのだろう。俺とお前と言う時には、親密度は満杯なのが確認可能だが、僕と君という時には他人行儀を禁じえない。いや、禁じえないなどという遠回しな言い方では元は取れない。それくらい俺とお前には結束がある。政治家は俺なんて言わない。澄ました顔で僕を連呼。俺達とは一線を画しているなあはどうしても思ってしまう。第一政治家にとって大事なのは県民とか国民であるはずが、そこを今果敢にも表現出来ている政党はない。今まで一番感動した政策は、10年勤務しても年金が出るようになったあの事案で、その点では公明党をまともだと言い切れる。着眼点が素早くて恐れ入る。25年は勤められなかったけど10年なら勤務した例は枚挙に暇がないからだ。国民がより多く救われた。このことを俺は忘れない。自分はどの職も三年とは続かず退社したが、今にして思えば同窓生はまとも。大学を出てきちんと就職しそこが倒れかけたら、又違う場所を受けて、全員ほぼ生業に就いている。全員が全員、俺よりも根性と社会性がある。それなのになぜ?発信力がないのだろう。しがらみに潰されている内に、俺の発信力に頼む始末だ。会社という二文字を翻せば社会なのに、ここまで大人しいのはある意味不気味だ。日本の風土が土着民しか受け容れない証しなのだろう。しかし俺の周囲に居ればおのずと打ち破る。どんな規定も俺の周りには存在しないからだ。

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 僕の巻頭が見事に崩れ堕ちて、しかも次の日曜日から僕の替わりにあと一人、人物が出て来るらしい。信じられないことだ。宝石は七つだったはずで、その宝石は何なのか?とても気になる。八に拘ったとし言いようもない。今は日曜日に僕が消えることしか頭には浮かばず見事に裏切られた思いはある。啓示があったらしい。しかし僕は日曜日を除く全部の曜日に出番はある。そこまで心拉がれる必要はないと自分を慰めた。啓示というのは夢で出たものがそのまま現実の日常で表れるというものと少し今回は違うそうだ。夢が関与ではない。つまり自分が起床している時に、頭の中で起こった家族との会話が、そのまま昨日の大学病院の一階で現れたらしい。これは夢でみたものが再発とは少し様相を異にしていて、バージョンアップした証明だという。つまり夢の中ではなく現実として啓示が随所に出現しつつあるという神出鬼没。素人には中々理解し難いことだが、これは起こるべくして起こった会話の再現で、僕には上手く説明が出来ない。他愛もない母と娘の会話だ、しかしそれが数日前に母の頭の中ですでに展開があったものと一言一句も変わらないっていう一点に潜む潜在の在り方に僕は戦慄を覚える。僕は巻頭から外れルビーが僕の替わりを務めている。ここまでスターターを務めさせてもらったことを感謝にかえるしかない今だろう。

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 里子は信じられない光景を目の当たりにします。なんと自分が自分の足で立っているのです。これまではどこか、他人頼りだった。しかもその自立は法外な喜びであると同時に狂歌と密接していてことの他、ワンダフルなのです。歴史を歌おう、そして歴史的な自分になるということはこの自立をメドに充てられ決して自分本位の取り決めではない旨も明らかになるのです。里子は、居候という日本語がやけに温かい、それを是非狂歌に盛り込めないか?の発注を受けます。そしてそれに同意するのです。自分の中で居候はいとも図々しい為りをしている。しかしどこか憎めないのです。なぜなら日本には国民全体で味わった敗戦があります。どこかに身を寄せるしかないどん底の時代があったのです。しかし思い出すことは出来ません。里子が体験した訳ではないからです。むしろ、もう少し後年に起ったことを頭に思い浮かべるのです。専業主婦になった頃・・・。自分は旦那に食わせてもらうを利口に活かして楽をします。旦那を働き蜂にして自分は女王蜂のように家の中で君臨するのです。しかしうまいとこ行きません。旦那から苦情は出て子供達も旦那の味方に回る。専業主婦は居候の身?十分に家事で働かないならいずれそういう身分に降格するのです。午後は明太子の乗った冷やしぶっかけうどんに、ひとり舌鼓を打っていた若い頃の自分を詠めばセルフ日の丸!!〔新語で親方がいないけど日の丸が出せること、セレブが架かる〕今日のアマゾエで発表しましょう。

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 奇跡を起こしたオープナー制の快挙にエンジェルスのオースマス監督もきっと喜んでいるでしょうね?ええ、記録というものは、符合があって初めて生まれる。奇跡を起こす為には必ずその序盤となる試合の流れがあって、今朝はその究極をみんなの力で掴んで大衆に見せてくれた。そして、今、忘れないうちに、MLBオールスターでの田中投手の勝利を詠んでおこうって思うの。今日を過ぎると、旬〔しゅん〕を逃す。まだ、オールスターの余韻がフィールドのどこかに残っているという今を逃しては、句は詠めない。田中投手は色々な球を織り交ぜて好投したんだけど、投手として打者を打ち獲ることを、今回散らし寿司に架けようと思うの。日本では相手をやっつけることを蹴散らすって表現するわね?はい、その散らしがちらし寿司に生まれ変わるんですね?ヤンキースへの期待感は日々大きくなっている。今年こそは!!の声を支えるのはニューヨークの人々だけじゃない。でわお願いします。様々な 球を織り交ぜ ちらし寿司☆ちらしに散らしが架かる☆

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 最後まで自分の意見を持って絶対に人に流されないそういった人物は政治家には向かない。一匹オオカミでは決して集票計が動かないからだ。だから秀逸の政治家でも柔軟な力、流される感情を持つ者が愛され好まれる。これを被翻弄力と呼ぼう。しかしこの様〔ざま〕では、いっこうに国のレベルは向上しないし、それでもいいんだとする有権者がその宇土の大木を支える。僕等にはそういう初歩的なヘマがない。全部は自分から流失したものだ。文章でも作品でもすべてが自前。どこからか金を受け取ったこともない。だからこの先もスムーズなのだ。国の向上には国民の向上心が不可欠でそれを炙り出していくことに意義はある。これを始めるのに金は要らない。票も必要ない。僕はこのイノセントを重鎮として愛でた。それが真髄にあるからこそ、人が本気で僕を信じることが出来る。アイデアをが逆に僕に提起してくれるし、展開してくれることも知っている。そしてつい最近だが面白いことが大相撲で起こる。三日目なのに、五つも相撲を取っている力士がいて相当の疲労困憊だと心配したら、ケロっとしているのだ。二回も取り直しをやって本来は疲れるのが常道。しかしその時、僕は気が付く。高安の名前に秘密があることを。高いの反意語は安いだけではなく、低いがあること。なんでこの言葉だけ特別なのだろうって。高いといえば反意語は低いだろう。しかし・・・この力士は安い方を獲った、しかも名前にしている。この力士の無頼派に学べば、人生の掟も見えてくる。人生には高いの反意語は低いと答える人のみではない。安いと答える人も同じ位いる。僕はいい勉強をさせてもらった。

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 富裕層にとっての日常は金の工面に緊迫することはなくいつも心が平安で羨ましく思う。しかし富裕層にも己の意見がそれぞれあるはずで、僕はある一定の預貯金のある普通の人々こそが、真実の富裕層と、現時点で呼ばれていることにリアル驚く。つまり苦労してここまで来た人々の織り成す日本の富裕層の本当の内訳を知れば知るほど、心がほんわか温まってくる。苦労を厭わずここまで闊歩してきた歩みを知る時に、僕は不惑の気持ちでここまで来た日本の富裕層の肝心要を思わずにはいられない。何か突拍子もない幸運に相乗りして、とんとん拍子に稼いできた訳ではない、静かなる富裕層に僕はたじろぎもせず絶句する。日本の未来を見る思いでいる。ケチなようで出す時には出そうという軽快な心の準備、そしてただ単に、金儲け出来ればそれでいいのさ!!とは思わない律儀さ。この思想の根幹にある情緒、そして銭のロマンを構築して来た平常心。こういったものが日常の所作と絡み合って、日本の貯蓄の深層を織り成して来たと思えば僕等にも出来ないと諦めることではないな?を思う。先人達が作った富豪バリエーションこそが僕等の枠組みとなるものだろう。一億貯めた人でも最初の一万円が存在する。十億貯めた人にはそれなりの金銭絶対セオリーが健在なのだ。僕は未来を憂えない。その必要がないからだ。どんな社会が到来しても、必ずやり抜く精神こそが、貯蓄魂にはあるからだ。