サファイア・マン《緻密な男編》〔144〕伯父の容態が芳しくはならず実際に伯母は一回も博多には尋ねては来ていないんですが、その替わり三年後に伯母の家を家族全員で訪ねるのです。浦上天主堂を前にした公園で子供達を遊ばせたことが記憶に鮮明に残っている。あのとき、まだキャロルは伯母のことを半分も理解出来てなかったんだなあと未熟だった自分を悔やむのです。女性同士の意地や軋轢があって、伯母はいつもは母に意地悪しているようにしか見えなかったけれど、彼女の聡明さは男を超える何かを包括していて、そこが今にしてようやく見えてきたことがせめてもの救いです。彼女が表面的には母に眉をひそめながらも私という姪を通して訴えてきた思いがあったということです。女性はともすれば忖度し過ぎて、自分を見失うことも多いがその微塵もないキャロル母娘に何を思ったのでしょう。きっと経験値を超えたところの淡い期待だったのでは?と今はいい方に解釈しています。彼女が望むような理想の女性になる!!そこが見えてきたことが意外なのです。古臭い明治の怨念のような彼女が、型破りの典型だったことが驚愕で、これも時代のすう勢としてすかさず台頭していくことになるのでしょう。