アクアマリン・マン

 容子がADHDである可能性が高いことは皆が感知している。皆が、そうだと、類推する。組織の中でも浮いてしまいがちな、容子は皆が、首をかしげながらも、そこに終着駅を見る。しかし、なぜか、これが、歓喜に繋がる。ご両親は、なぜ、気が付かないまま来たのだろう。一回は病院に行き診察を受けることも視野内と、誰もが、それを禁じ得ない。人の話のこしを折る。これは、対人関係を蓄積途中に於いては、致命的である。しかし、容子の顔を改めてよく見てみる。そよ吹く風である。僕等はすっかり、容子のペースに乗り過ぎた。それだけではないことが、後々には控えている。