西🏝姫瑠のアディショナルタイム529

 

1923年に生まれた私の父の生誕百年のおまじないが今年中は生きているから何かを成し遂げるには今年は最適との啓示は入った。今朝は1923年の2月に生まれた父が最初の九年間、今私が実家と呼ぶ場所ではない、かき道(どう)の1角で、父は産声をあげたことを捉えておきたい。9歳になった頃に両親が家を建てて移り棲んだと聞いている。誰もがあたしと弟を落ちこぼれと呼び、上から目線で見下ろしたがそれはそれで、当然の報いだったこともはっきりしている。姉が姉なら弟も・・っていう路線だろうか。しかしそういう軋轢をもろともせずに、ここまで精進出来たことは一体なにゆえに??ってバイタリティを誰にもらってここまで来れた?ってそこを鑑みると、男と女の捉え方はまったく違うのだ・・・彼は、母親の愛が大きかったという。私は父の愛だ。ふたりは両親にそれぞれ、愛されてきたという幸せを語らずしては何も見えては来ない。母は無頓着主義のあたしには愛想をつかして、弟の手厚い愛を選んだのだ。しかし父は私の筆に賭けた。勝負運がどう出るか?生誕100年の今年にあたしは期待する。同時に1956年に生まれたあたしの生誕100が俄然期待熱になる。2056年だ。