ブラックオニキス・マン188

 

句や歌の強みは、そもそも苦や旋律を擁する部位になるのでは?僕はブログよりむしろ母の歌と句にすべての精魂が込めてあるな・・・を嗅ぎ獲る。確かに長い文中の言葉にも、母の魂は籠る。同じ日本語の両者ではあるけど、歌や句にされたものは、凝縮が施され受け止める側に、その完了の実態が渡される。その行いによって僕等はひとたび空中飛行を余儀なくする。ストレートにすべてを包み隠さず吐露する姿には滑稽もある。こんなことまで言ってしまってもいいのか?っていう各人の拘り、さじ加減ももちろん同居だろう。歌を詠むことと、もうひとつ、母にはシンガーソングライターとしての側面もあるが、あえてこれまで、誰にも見せてない。ここは子どもたちの僕等でさえ、見たことがない母の姿だ。なぜ、最初から封印したのだろう。その答えが近い将来には明かされると僕は見ている。もしも、それが履行され解禁になれば、音楽と文学の両輪のレールが開通して、新しい母の人生が開始する。母はそこで証明をするのではないか?と僕は見ている。あまりに速く開花してしまうことの残酷を世に問うのでは?・・・と。春に向けて新しい楽曲作りに専念する母にとって、時間は宝石を超える。僕もひとつの宝石としてこのコーナーを任されたことが、感極まる、責任も感じる。今どきの30代を僕は表すことだけで佳いのだろう。体現するだけで僕はみんなと同じさやを共有出来る。それは同じパーカーを羽織るようにお互いを認めうる感覚にもなる。すぐ上の姉の誕生日の今日僕から新語も出しておきたい。右左とそれぞれにウィンカーがあるが、はてなウィンカーだ。(勝つとウィンクが掛かる)☆24318☆