ブラックオニキス・マン180

 取り立てて書くこともない普通の日。それでも時間はマラソンを辞めない。なぜだろう。一日24時間を、人は誰もが保有し、その中で独自の使い方を極めてそれぞれが日常を走って今ある。一日を4等分してみるとわかりやすい。最低、六時間は睡眠が欲しいからだ。残りが18時間。極めつけはその中に潜在する。18時間、まるごと使い、何かに没頭しても、芳しい結果は出ない。なぜだろう。時間の中に空洞があるからだ。そのことに僕は気がついた。時間の濃密を掴まないといけない。濃密が脳蜜に懸かっている。僕らは、たった三分ですべてを完了出来るほど、容易には出来てない。普通の人物だからだ。それなのに、こうあってしかるべきは依然としてある。理想と組み替えていいその代物だ。みんなが同じように、18時間の中で奔走し、蹴りをつけたいと祈念し、時間を行脚させるが、ここに盲点が潜む。18時間のうちには食事時間、そして入浴時間、移動時間が含まれる。毎日、18時間与えられても、不可能なのはそこが起因している。三分で柔らかくなるカップ麺からヒントをもらえる。ほぼ出来る人物が何を頭に描き、三分内で完了させるのか?麺が柔らかくなる180秒と同じ理屈が働いているのだ。