常識が皆無の人間と思われても、お構いなし。私は若気の至りの極致にあったことを自覚します。しかし、常識的とは、そもそも、何を指すものでしょう?ありとあらゆる事柄に常識を添付して、なお、未達なものこそが、日本のリアルだった…、私はあえて、何者にも、怖れない自己を見せた積り。人は様々批判する生き物。でも、動じない自己はある意味、異様に映ったでしょう。出発点は私の反発から端を発していた。容子は逆に先を見据えるかのように、慎重だった。弟が心配だったことは言えるでしょう。すくすくと、彼を育成させて行く為には?子供なりに、鑑みていたのです。