アクアマリン・マン167

 僕の編は、170までいった時点の五月三十日にプロローグから新しく始まるらしい。一度は容子に干されかかったが、こうして残ったことは奇跡にも思える。僕なんて・・・って卑屈にならずに良かった。ちゃんと推敲したり熟慮も終えて彼女なりの展開を考えていたことを思うと僕は短気な自分を責めざるをえない。ありきたりな僕等凡人ですら、容子の考えていることの緻密さがこうして露呈し、しかしあえて言えばまだまだ日本語を知らないな・・・って昨日は僕の方が笑ってしまう・・・訝るだ。訝しく思うを彼女はえええ?って思って見ている・・・ずっとだ。訝るでいいのでは?と心の中で思いながら。僕も訝しく思うは滅多に使わないし書けない。今でも怖い漢字だ。容子はこれまでの執筆活動で訝るは使用でも訝しく思うを使ったことがない。いかに他の人々の著書を読まなかった?が明らかになる。本人から言わせれば、あえて、他の人の著作は読まなかった・・・とはいうものの、それでは僕に釈明が成立しない。何か他の理由がある?と疑ってしまう案件だ。容子は恐らく美しい文体が怖いのだ、だからあえて読まない。例えばはてなブログのある整形外科のつぶやきの作者のような・・・自分が劣るって知るのが怖いから読まずにきた可能性大だと僕は思う。