デニム・ブルー・サファイアママン18

 みんながみんな同じ境遇下ではないように、それぞれの個性が一気に弾ける時。そういうのを青春と呼ぶのなら、私にも鹿児島の師範学校時代にあったのです。しかしお互いの親に紹介し、結婚を約束までには至らなかった。まだ、時期ではないっていう理屈をこねていただけで、素直に相手の心に寄り添っていたら、もしや、結ばれていたかも・・・っていう不完全燃焼。このことがあって、優柔不断型と決めつけられて困っている自分も見え隠れしていたのです。ダンス教室に通い青木ホールで踊っているとき、もっとも自分が発散出来ているなは体感していました。身体を使う、それも音楽と連動しているっていうスイッチが魅了を持ち込んでいたのです。母親のキミが音楽ではかなりの精通者で、しゃみせんやお琴を日常爪弾いていた。そういう風情に憧れを抱きつつも、ダンスはそれ以上のダイナミックを自分に起こしてやまなかった。自分は本当に子供を授かることが可能なのだろうか?そこでは自分の思うような幼児教育への着手が可能なのだろうか。途端に、わくわくしてきます。誰にも邪魔されずに紡ぎたいのは、音楽の時間でした。でも結婚までには相当のいばらの道が開けているのでは?そこを悶々と考えて推量するよりも、ぱぱっと決めてしまうことがどんなに大事か?本能で感じ取っていたふしはあったのです。