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 今振り返ると僕こそ、封建の塊だった。妻とはこうあるべきだ!!っていうところの概念が心にしっかり根付いていた。母親を九歳で亡くした時、僕は何が嫌だったか?というと大勢の級友たちや先生、村人たちが僕の家を訪問して来ることだった。恥ずかしかった。敷居を勝手に跨がれて・・・。僕はその頃、紅顔の美少年で人と話すのも照れ臭い恥ずかしがり屋の性向だった。第一、家の中に人がやってくる。そういうことは滅多にないというか、ほぼなかった。親せき筋なら分かる。しかし一般のそうは親しくない人間たちを迎えることは難儀なことだった。なぜ?そこまで僕が辛気臭く思っていたのか?今も不明だ。親が亡くなってしまったのに僕は悲しみを傍に置いたまま、他のことで不都合を感じ取っていた。悲しい気持ちはあるけどまだ、実感として把握不可能だったのだろう。3兄弟3姉妹と父、総勢7人のそれからの食う為の戦いは必死だった。貧困だった。父は農協にいたが、みんなを食わせていくことは至難の業。幸い、山が近くにあったことで、焚き木や植物に不自由はしなかった。自然の宝庫を目の前に奮闘した。姉は丁寧に僕に家事を教える。みんなが早くにお嫁に行く。田舎の当時はそうだった。僕は家事を精魂込めて教えてくれた3人の姉達に女性の信念を見た。女性の素晴らしさは全部、厨にあった。