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 僕らが行く道のりは決して先が暗澹としている訳ではない。やがてコロナは収束に向かう。ワクチンが出来て国民自体が取得した抗耐が効能。ずっと永久にコロナがある訳がない。それなのにみんなは悲観思想に走り過ぎている。僕は三十年も前に日本の新聞でコロナ流行は予期してあったというニュースに驚く。日本の医学者がとうの昔、想像していた範疇なら、これは凄いし三十年も前という記述に戦く。まだ記事を手にしてはいないが昭和だろうか。予期した人はそこまで知っていたのにまだ、人々の想像の範疇に入れられず、今日まで経過していたのか?だとすれば分かる気もする。自分の身に起きないと中々信じない。僕だってそうだ。コロナがそんなに簡単なウィルスではないことも最近は自覚出来てきた。しかも岩手県まで行ったことがショックだった。ここだけは大丈夫!!ってどこかで思いたかった。しかも大谷投手の出身は岩手なのだ。どんな県なのだろう。行ってみたい!!コロナで唯一感染がなかったのに昨日確認された。アメリカの映画、”運び屋”が僕の心を揺さぶる。この映画の最後は歌で終わる。老いを受け入れるなっていう音楽で最後は終わる。どんなことがあっても僕もそうしたい。老いはノックをしてこんにちわ!!って来る。しかし居留守を使ってでも僕は無視して対応すまい!!ってそう誓う。クリント・イーストウッドは政治にも転身したことがあった。彼の口から政治と映画の違いを聞いたみたい。彼が何と答えるのか、実に興味深い。