僕にも実は悔恨がある。容子の祖父、脇田大佐については全く知ろうともしなかったし、話題にもしなかった。二男が生まれた時、手伝いに来てくれた。それなのに長崎からわざわざ福岡まで来てくれたというのに、僕は一言もお礼を言ってない。当たり前だろ?っていう内心でのバンカリックなプライドがあった。しかし子供達のご飯を作る為に来てくれたのに、僕は何を勘違いしたのか、自分のおかずが少ないことで義母に直訴。ご飯とみそ汁、お新香にさんまの塩焼き。なすびのでんがく。これで文句を言う。しかしお義母さんは立派だった。二週間ほど滞在して帰り際、僕に手を出す。最初は全く意味が分からず、相手の目を見る。やはり大佐の娘だった。掛かった経費をお願いします。旅費もお願いしますって。二の句も出ない僕は万札を三枚渡し、西鉄電車大橋駅に向かう。相手も相手なら僕も僕だろう。目上の人に対する礼儀が僕には全くなかった。義母の態度としてあれは立派だったと今思う。黄泉の国でも序列はある。お義母さんは今、立派な少将の部屋に棲んでいる。僕なんかが覗こうとすれば門番に弾き出されるくらいの煉瓦作りの洋風霊艦である。駆逐艦をそのままホテル仕様で改築してあるのだ。