エピグラムを毎週水曜日に提出して皆に金言を預けているゴリラのようちゃんで、エピグラミストのようちゃんでさえ・・・ほおおおおおっていう感嘆を持って見ていた言葉がこの格言。真珠湾だと思っていたらミッドウェイだった・・・という言い回しで、こんなに沢山のエピグラムを手掛けてきたようちゃんをも唸らせてしまったことで調べてみたんだ。六月五日しかも1942年・・・。真珠湾の一年後まではいってない。脇田大佐の所属だとどの艦になってて彼はどうしてたのか?と。全然知らなかった脇田大佐のミッドウェイで時間を掛けてこれから調べてみたいと思っている。中佐の時代が長かった脇田大佐で、出世と並行に考えていたのはこの国が敗戦に向かっているという悲しい手ごたえだったのだろう。我々は後世に生まれたからといって、あんときはあんとき、俺らにゃ、全く関係ないし!!って言い切れるのだろうか。言い切れないから、政局ひとつにしてもこうして突如とした土壇場が巻き起こるのではないのか?もてるビジネスマンの法則・・・自分の長男と一緒だった信次郎氏の生い立ちを初に知って、やはり、こう思った。長幼の序の大切さである。